道違えど物言う信念

 今を生きるサッカー少年は大変だなと思うことがある。私のころはサッカーは少年団で始め、中学、高校は部活で打ち込むのが王道だった。高校と大学をどこにするかで悩みはしたが、学力や目指すものと相談すれば、おのずと答えは出た。
(略)
ある程度の年齢になったら選択に子どもの意志を反映させることが大切だ。自分で居場所を決めてきた選手は押しなべて意識が高いからである。私の要求に対して、「無理」と簡単に弱音を吐かない。できると思うから求めている、無理かどうか決めるのは指導する側、という根本を理解してくれるのも、そういう選手たちだ。
 逆に「なんとなく大学に来た」という選手はあきらめが早い。修正能力も低い。自分の物差しを妙に過信し、「ぶれない」という言葉が好きだったりする。ぶれない自分をつくるために幹を太くするには周囲の助言に耳を傾けることが大事だが、耳をふさぐことがぶれないことだと勘違いしていたりする。
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登山と一緒で頂上までのルートはいくつもある。大事なのは「どの道が正しいか」ではなく、どの道をたどろうと頂上に立ってみせるという信念なのだろう。

スポートピア

むかしから今の人は大変、みたいな事をいう人は変わらずいる。でも、必ずどうにかなっている。

まぁ、それはそれとして、ぶれない、っていう言葉は最近よく耳にする。政治家なんかも使っている。なんか何でもかんでもぶれる、ぶれないで片付けるのは、スマートな感じはしない。そんな事を考えていたら、ある打ち合わせで意外な人がぶれない、とか言い出した。もう少し計画的に進めてけばいまさらこんな話しないですんだだけでしょ?と思いながら、言い分は聞いた。

ぶれないように気はつけても、口には出すまいと決めた。

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